あまりに酷い、歴史教科書共同研究委 報告書を公表、 韓国側は 日本の攻撃のみに終始し、研究とはいえないのが現状である。日韓歴史共同研究」を持続すべきか? 皆さんはどのように思いますか?平成13年の教科書問題を契機に始まった日本と韓国の学者、研究者で構成する日韓歴史共同研究委員会(日本側委員長、鳥海靖・東大名誉教授)は23日、第2期の報告書を公表した。古代、中近世、近現代史の分科会加え、今期から教科書小グループが新設され成果が注目されたが、約2年半の研究では韓国側が特に「新しい歴史教科書」を繰り返し批判。日本側には、「まず攻撃ありきで、議論は全くかみ合わなかった」と、韓国側のスタンスへの疑問と批判が強く残った。位置づけに本質的な「食い違い」 「日本と韓国の学者、研究者で構成する日韓歴史共同研究委員会は23日、第2期の報告書を公表した」、と報じる記事である。先般の日中共同の歴史研究と同様に、双方の食い違いが浮き彫りになり、平行線にあるかの状況について記されている。 認識作業以前の問題として、そもそも、日韓双方には、日中のケースと同様の、研究の位置づけそれ自体に食い違いがある。いわば、いずれのケースでも、日本側は「共同研究」を純粋な歴史研究、と位置づける方向性にあるが。しかし、対する中韓は、それぞれに政治利用を前提として「共同研究」を位置づけているからだ。ゆえに、たとえば、相手が「日中」の場合は「六四事件」(1989年)を除外したように、ご都合主義が先行し、焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)の文化体質が地金を露わにするのである。 元来、研究には、曖昧を付する政治性や利権、国家の外交、力学的な関係などには無関係な、厳正、且つ客観的な土壌が不可欠である。すなわち、たとえ、100万人、1000万人が異を唱えようとも、1つの「事実」に勝るものはない。分野を問わず、学識者にはこの気概がなくては存在の意味はない。 それゆえ、間違って御、相互の顔色を観ながらの作業に劣化するようなことがあれば、それは、最早、「研究」とは言い難い。報じられる「共同研究」のスタンスは、特に、事実と法則性を見出すことを是とする理工系の基礎研究では、考えもおよばない事例である。むしろ、歴史研究においてもこの基本は不可欠であり、研究に相手国から手かせ、足かせをかけられる状況にあれば、純度の高い研究は不可能である、と。その旨を明確に伝え、プロジェクトを解消して然りである。日韓歴史共同研究」を持続すべきか? 皆さんはどのように思いますか?
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